ごちゃまぜの家日誌

横浜市港北区富士塚にあります、ごちゃまぜの家の日誌です。

ごちゃまぜの家での一ヶ月間を振り返って。

ごちゃまぜの家の奥の小屋で寝ているホープレス内海です。

実は今日でごちゃまぜの家に来てちょうど一ヶ月が経ちました。

この一ヶ月の間にいろいろな出来事があり、いろいろな心境の変化がありました。

いつもはその日にやった事を振り返るような内容のブログを書いていますが、今日は僕がごちゃまぜの家で一か月間過ごさせて頂いた中で感じたことを書いてみたいと思います。

まず12月2日、所持金約1万円という状況で関東近郊の農場の住み込みバイトから出ていく事になりました。すでに今まで住んでいたマンションは引き払っているので、帰る家はない、という状況でした。

そこで翌日の夜はどこで寝るか、という状況になりました。

誰かに頼るのか、ホームレスとして路上にテントを張って寝るのか…。

幸い、数か月前に坂爪さんからもらっていたテントを持ち歩いていたので、それを使ってどこかにテントを張って寝るという選択肢もありました。

親兄弟には迷惑を掛け続けてきたので、親兄弟に頼る事は到底できませんでした。

友達も多少はいるのですが、泊まったり泊めたりというレベルの深い付き合いをするレベルの友達はいませんでした。

親兄弟や友達に迷惑を掛けるぐらいだったらそれは良い年した成人男性としては恥ずべき事であると思っていたし、相手に断りずらい要求をして相手に断りずらい苦しみや断る事による良心の呵責を与えたくない、という気持ちもありました。そういう事をするのは人間として終わっているのではないかと思いました。

そんな波風立てるくらいなら潔く路上生活、テント生活に移行すべきだと思っていました。

しかし、坂爪さんの御厚意ご興味により、ごちゃまぜの家に居候させて頂く事ができるようになりました。

最初の内は食事からシャワーから本当にありがたくて素晴らしい所だなぁと感じていました。

こんなに恩恵を受けたのだから、何とかして恩返ししなくてはならない、その恩返しの形が、早く次の住む所を見つけて出ていく事だという認識で就職活動を頑張っていました。住み込みの仕事を見つければ住む所とお金と食べ物の問題を一挙に解決できるなと思いました。

僕は不器用な人間で何かに集中し出すと周りの事が見えなくなります。

そして僕はだんだん就職活動だけに完全に没頭し出すようになりました。

その結果、ごちゃまぜの家で食べ物を頂いたり、シャワーを浴びたり、灯油ストーブを付けたりと言った事に何も感じない様な状態になっていきました。ごちゃまぜの家で食事をしたりシャワーを浴びたり灯油を燃やす事が空気を吸う事のような無意識でやる事の一つのようになっていたのです!!

その結果…。

ごちゃまぜの家の住民の中で僕が一番いろいろな食べ物を食べている状態になっていったのです(>_<) 恥ずかしい(++)…。
ごちゃまぜの家の財布は神社の賽銭箱のような気がして決して手を付けるべきものではないという認識は最初からあったのですが、台所に置いてある食べ物は食べないと腐るし…等と思って普通に食べていたのです(>_<) でも、台所にある食べ物もごちゃまぜの家の財布で買った物だし、多くの人の御厚意で送られてきたものだったのです…。

ごちゃまぜの家では「わたり食堂」というイベントがあったり、イベントがなくてもいろいろな人がかわるがわる訪問してきて泊まっていく人もいます。

ごちゃまぜの家は「誰でも」無料で使える家なのでいろいろな人が来ます。

ごちゃまぜの家に深く関わっている人から見たら、あまり来てほしくない人もたまに来ることがあります。

僕はごちゃまぜの家にいる事が多いので、そういう人への対応に苦慮していらっしゃる場面を何度か目の当たりにしました。

しかし、僕から見たらそこまでハードルを上げてしまうと誰も使えなくなっちゃうんじゃないかなと思う事もありました。

でも今振り返ってみるとよくわかります。

その時の僕自身がごちゃまぜの家にふさわしくない人たちと同じ状態だったので何がダメでどこがどうふさわしくないのかが分からなかったのです。

ごちゃまぜの家は、圭吾さんの発案の下、クラウドファンディングで多くの人の心からの善意によって始まり、今もなお、善意によって成り立っている家なのです。

そこに対する感謝や報恩の気持ち、そこにある物に対する礼節、歴史的経緯に対する理解、守ってきた方々への敬意、発案者である坂爪さんの目指す方向性への賛同と共感など、そういったものが大切なのではないかと僕は個人的に思うようになりました。

そういう気持ちもなしに、ただ無料だから使うと言うのでは、ある意味、多くの人の善意や寄付を踏み躙る事にも等しいのではないかと思うようになりました。

このような気持ちの変化があったのは、わたり食堂に来られていた人の影響が大きかったと思います。

凄く博識で僕が前から知りたかった事や興味のある事をいろいろ教えてくれるのは良かったのですが、あまりにもずっと喋り続けるのでこちらが聞き続けるのが苦痛になるほどでした。僕はもうその場にいる事が苦痛になり、あえて買い物に行く事にしてしまいました。極端な言い方をすると、営業マンの押し売りのような圧迫感を感じてしまったのです。

僕はごちゃまぜの家に来て初めて、(もう帰って欲しいな…)と思ってしまう人と出会いました。

しかし、その事で、今までごちゃまぜの家を運営してこられた方々の苦労や苦悩の一部が少し想像できるようになり、自分自身のごちゃまぜの家に対する姿勢を顧みる事に繋がっていきました。

その結果、まさに自分自身がごちゃまぜの家にふさわしくない人間だったことに気付かされたのです。

その時から、僕はいつも自分の心の中に感謝・報恩・礼節・理解・敬意などがあるかどうか気を付けるようにしています。

しかし…。

その意識は同時に、それらの気持ちを持てていない自分、何も恩返しできていない自分がごちゃまぜの家にいるのは単なる穀潰し状態になっている事に気付きました。

それからは事あるごとに、今の自分にできる恩返しは何だろうか。どうしたらごちゃまぜの家に役立つ事ができるだろうか。どうしたら価値を提供できるだろうか、と言うような事をずっと考えています。

なかなか答えは出ていないのですが、以前坂爪さんから言われた事を思い出しました。坂爪さんは人助けをしているのではなく、一緒に楽しい事や面白い事ができる仲間を探していて、楽しい事や面白い事がやりたい、と言うような事を仰っていた事を思い出しました。

なのでまずは何か面白い事や楽しい事を提供できる自分になっていこうと思うようになりました。

最初の内は狩猟への挑戦やテント生活の整備などをやる事が自分も面白いし、周りにも少し面白さを提供できているような感じがしました。しかし、なかなかネズミを捕まえられなかったり、街で良く見かけるカワラバトが捕獲禁止になっていたり、うまく行かない状況を迎えました。また、小屋作りが思いのほか大変だったことで、自分自身が楽しくやる事ができなくなり、いつしか何か面白い事を提供しなきゃ…といった義務感が強まってきました。

これから僕は一体このごちゃまぜの家に対してどんな価値を提供できるのか、どんな形で役立つ事ができるのか、考えています。