ごちゃまぜの家日誌

横浜市港北区富士塚にあります、ごちゃまぜの家の日誌です。

【5月14日】自分を否定し続けると(よりこ)

ごちゃまぜの家が今日も始まる


圭吾さんと住人のYさんは朝が早い。

月曜日は燃えるごみの日だから、8時までに起きないとと思って昨夜は居間で寝た。
物音がすれば自然と起きるだろうという思惑。

5:30にはお米を炊く圧力鍋の音、そして、ふたりの話し声が聞こえてきた。
6:00になって起きたら、Yさんは既に出かけていた。

朝ごはんに昨夜仕込んでいたフレンチトーストを食べ、庭に出て、草むしりを始めた。
昨日の説教(だったらしい。汗)により、庭弄りをしてもよいとのことだったので、まずは草むしりから。

何の花を植えようか。
夏の花ってヒマワリくらいしか知らない。

グリーンカーテンを作りたいと思ってみたものの、窓側はコンクリで固めてあり、そうやすやすとは実現できなさそう。
やるならプランターでやるしかない。

庭をどんなふうに造っていったらいいのか、ほかの住人の方にもアドバイスをもらおう。

などなど考えていて、傍らで圭吾さんがプランタースタンドのようなものにニスを塗っていたので、圭吾さんに好きな花は何ですかと聞いてみた。
答えは返ってこなかった。

そこから二の次が次げず、しばし沈黙。

夕方、住人の方にこの話をしてみたら、たぶん、答えた花を植えようとしていた私の浅はかな考えを圭吾さんは見抜いたんだろう。
だから何も答えなかったのではないかとのこと。

そういうことか。

いや、実際のところはいまだ謎のまま。

 

 

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久しぶりにハンドルを握る

 

やはり圭吾さんは出かけるらしく、着々と準備をしていた。

そして、唐突に、車運転できる?ときいてきた。
運転はできる。
上手ではないかもしれないが、好きだ。

だから、運転できると答えた。

すると、新横浜まで送っていってとの返し。

。。。
一瞬詰まった。
運転は好きだが、家族以外を乗せたことがない。

でもたぶん大丈夫だろう。

新横浜ってどのくらいかかるんだろう。
1時間くらいかかるのかな。

そう思っていたら、実は新横浜は隣駅で、5分程度で到着した。
行きは圭吾さんが運転し、私はお見送りをして、ごちゃまぜの家まで車を運転して帰ってきた。

ごちゃまぜの家ってほんと便利なところにあるんだな。

久しぶりの運転は楽しかった。
車欲しいな。
ポルシェのボクスター981の黒がいいな。

帰ってきてからは、妙蓮駅の方向へ散策に出かけた。
苗や種を売っている店を探しながら歩いていたのだが、あいにくめぼしいお店は見つけられなかった。

 

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家族って一体なんだろう

 

今日は昨日の大雨とはうってかわってよく晴れた暑い日になった。

帰ってきて、洗濯物を取り込んで、フレンチトーストの残りを食べていると、Yさんが帰宅。
そのまま居間で、昨日の圭吾さんからの説教について、話をしていた。

実はYさん、昨日圭吾さんから話をしようと言われた場に立ち会っていらっしゃり、不安げな私に、そばにいようかと声をかけてくださっていた。
もちろん、そうしてもらえたらどんなに心強いか。
でも、そんなことできる雰囲気じゃなさそうだったから、大丈夫ですと言って、するとYさんは自室に戻っていかれた。

そのときのお礼をつたえた。

きっとYさんも説教の内容が気になっていたのだろう。
少しずつ昨日のことを話していると、もうひとりのYさんが帰ってきた。

そのまま居間での雑談に加わり、けっこう濃い話をたくさんしたが、ところてんのように先の話は後の話がはじまると私の頭の中から抜け出したので、おぼえているのは家族ってなんだろうって話をしたこと。

私は今、家族といっさい連絡を取っていない。
だからこそ、どこにも頼れなくてごちゃまぜの家にいるんだけれども、そうなってからとっても楽になった。
これでいいと満足している。

だが、Yさんのある話でちょっとひっかかってしまった。
Yさんは母親をなくしているらしい。

先日、母の日があった。
私は毎年、カーネーションの花束を贈っていた。
でも、今年は何もしなかった。

その話をすると、Yさんは、贈る人がいなくなるってそれはそれでさびしいことだと言った。

それを聞いたとき、私はこのまま何もしない人生を選んで、後悔はしないだろうかと思ってしまったのだ。

母は来年80歳になる。
もしかしたら、生きているのももうそんなに長くないのかもしれない。

 

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自分を否定する

雑談は続く。

私には誇りがないという、昨日の話。
それは自分を否定することからはじまるのかもしれない。

親から、兄弟から、先生から、友人から、知人からありとあらゆるダメ出し。
それに耳を傾けていると、いつしかそれが自分の評価となる。

ずっと自分を否定し続けていると、自分は何も持っていない、自分には何もないと思うようになってしまうんじゃないのだろうか。

3時間くらい、3人での会話は続き、最後の1時間くらいは、今日は新月だという話になった。
そういう話に疎い私は、2人の星の詳しさに驚いた。

月の満ち欠けや、天体での星座の配置は、自分たちの生活にも大きく影響しているらしい。

2人から話を聞く内に、すごく面白くなってきた。

私は、星座や四柱推命上では強運の持ち主らしい。
らしい、と言うのは、そういうのを読んでもピンとこないからだ。

ぜんぜん自分のことを言われているようには思えない。
もし、この星座なり四柱推命なりが当たっているならば、私の人生はもっと輝かしいに違いないのに。

でも、2人の話を聞き進めるうちに、もしかしたら、私自身が生まれ持った星というか、宿命を否定して生きてきたのではないだろうかという疑問にぶちあたった。

基本的に自分が生まれてきた時間は決まっている。
それは動かしようのない出来事で、それによって宿命というものがあるはずだ。

すばらしい境遇で生まれてきたのに、私は違う、私にはできない、そうやって自分を否定していくことで、本来の自分とはぜんぜん違う、自分らしくない自分になっていくのではないか。
そうやって誇りを失っていくのではないか。

短絡的かもしれないけれど、もっと自分の星について知ろう、近づいてみよう、取り入れてみようという気持ちになった。

2人が自室に戻った後、もう1人のYさんがやってきて、私を見るなり、ちょっと待っててと言い、自室に戻っていった。
しばらくするとまたやってきて、手にはなにやら持っている。

それはかわいらしい服と下着だったんだけれども、Yさん曰く、買っては見たものの、ずっと封を切らない、そでを通さないままだったらしい。
たぶんあなたにあげるために買ったんだと言って、プレゼントしてくださった。

突然のことでよくわからなかったけれど、ありがたく頂戴した。
とっても嬉しかった。

今日も感謝でいっぱいの1日になった。


そういえば、菊名駅の先の大倉山駅方面にホームセンターがあるらしい。
明日はそこまで行って、種や苗を見繕ってこよう。

ところで、もうひとつの課題、ビリーズブートキャンプはって?

もちろん、まだやっていない。
これからやろうと思う。

それでは、また明日♪

 

つぼぐちよりこ