ごちゃまぜの家日誌

横浜市港北区富士塚にあります、ごちゃまぜの家の日誌です。

【9月9日】今日の日誌(いなむら)

はい皆さまこんばんは。体調がリアルに悪くなってきました稲村彰人です。左後頭部の耳の下あたりがズキズキと痛みはじめています。頭痛です。私は風邪の引きはじめに頭痛になるタイプなので、おそらく風邪を引いているのだと思います。疲れていると、自分が風邪を引いているかどうかすら気が付けなくなるから恐いですね。この日誌をご覧になっている皆さま、体調はいかがでしょうか。季節の変わり目は、体調を崩しやすい時期になります。ついつい頑張り過ぎてしまう自分に、どうぞストップを掛けてあげてください。他人に迷惑を掛けないように無理ばかりしていると、身体を壊して結果的に自分にも他人にも迷惑を掛けることになりますよ、なんて、そんなことは言われなくてもきっと分かっているでしょうけれど。そうは言っても、走り抜けたい、走り抜けないといけない時期ってありますよね。私にはあります。私は明日午前5時半に起きて寺の草刈りに向かいます。

ということで、最近はオーバーワーク気味なので、他人としっかりとコミュニケーションできていない実感があるのですが、皆さまはいかがでしょうか。今までの私といえば、たっぷりと持て余した時間を活かして精神的なゆとりだけは常にある、というのが唯一の取り柄だったのですが、それすらもなくなってしまいました。精神的なゆとりがないと、いつもなら気にならないはずの他人の些細な言動が許容できなかったり、逆に、いつもなら退けられるはずの他人からの何気ない誘いを安請け合いしてしまったり、いろいろと大変ですよね。体調を崩しますと、健康を維持するということ以上に大切なことはない、とつくづく実感できます。身体は正直ですね。本当に正直です。私は先日の早朝4時、自分の両目が充血しているのを見て、終わったな、と思いました。結果的に終わっていなかったから今生きているわけですが、もっと早い段階で自分の身体を労われてやれていなかった自分の考え方に、何か問題はなかったのかと考えるきっかけになりました。自分の身体と自分の気持ちのバランスを取っていきたい。今日は寝床でそんなことを考えています。

はい。というわけで、もう書くだけのことは書いたのかなという気分になっています。とにかく今は寝ないとやばい。今日はもう日誌を書かなくても仕方がない、と、正直さきほど眠りかけていました稲村彰人です。ただ、そこで目を開けてひっそりとスマホの電源を入れて日誌を書きはじめるというチョイスをした私は偉いと自分で自分に思っています。誰も知らないけれど私だけは知っている私自身のこの選択に、私は拍手を送りたい。なんのために書くのか。他人から認められたいから書くのか、他人の期待に応えたいから書くのか。正直、その要素がないかと言えば嘘になります。だから長期的に見たときに自分の取った行動が正しかったのかどうかは分かりません。この30分、この1時間を、日誌に費やすのではなく睡眠に費やした方が、明日以降の私の気持ちはもっと晴れやかで、結果的にもっといい仕事ができるのかもしれない。それは誰にも分からない。ただ30分前の私は今日も日誌を書くという選択をしたのでした。

というわけで今日の日誌はそろそろ締めにかかりたいと思うわけですが。最近はこのごちゃまぜの家日誌に関して、量を重視して質を軽視していないかと自分で自分に問うているのですがそうは言ってもまずは量。今月は量に振っていきたい。それ以外にしてもそうですね。私個人の現在のライフスタイル自体が今、質から量へのシフト、というのが一つのテーマになっています。量をこなす中で、どうやって質を維持していくのか。私の気質的には、一つのことにじっくりと取り組むことの方が合っているのですが、そればかりだと、なんとなくいまいち次に行けていないな、という感じがしていました。質と量。皆さんはどう考えますか。最近の私のテーマは量です。

とかって書きましたが、そんなのは流れでふわっと書いただけで、本当に大切にしたいことは実はそんなことではありません。いつもそうなのですが、疲れているときにこそ特に、自分にとって本当に大切にしたいことはなんなのかということだけが問われている、と感じます。自分にとって本当に大切にしたいことはなんなのか。本当、ということについて問いはじめると、えてして思考の深みにはまって勝手に深刻になりがちですが、それでも、立ち止まってでも考えるべきことだろうと私は思います。こういうようなことを一人でじっと黙々と考えている時間が取れなくなると、自分が自分でいられなくなるような感覚に陥るのですが、これは私だけでしょうか。きっと皆さん、それぞれの仕方で自分自身を維持する方法みたいなものを持っているのでしょうね。自分にとって大切なことはなんなのか。もしかしたらそれは、何かを大切にしたいというよりむしろ、何かを大切にしているときにこそ自分自身を大切に扱うことができている、というような、そういうようなことなのかもしれませんねと思いましたところで今日の日誌はこれにて終了とさせていただければと思います。最後までお読みいただいて本当にありがとうございました。それではおやすみなさい。

 

 

稲村彰人